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東京地方裁判所 昭和62年(ワ)103号 判決

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

理由

第一  請求

被告は、原告李仁鳳(以下「原告李」という)に対し、三一九九万一八三〇円及びうち二八三三万二八三〇円に対する昭和六一年五月二三日から、うち三六五万九〇〇〇円に対する昭和六二年一月二四日から各支払済みまで年五分の割合による金員を、原告徐淑賢(以下「原告徐」という)に対し、三一四三万三八三〇円及びうち二八三三万二八三〇円に対する昭和六一年五月二三日から、うち三一〇万一〇〇〇円に対する昭和六二年一月二四日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事実

一  事案の概要

1  原告李は昭和六〇年三月に留学目的で来日し、妻の原告徐及び鐘寧(昭和五八(一九八三)年一月一日出生、昭和六一(一九八六)年五月二二日死亡、以下「鐘寧」という)は同年一一月に来日し、同居していたものである(争いがない)。

2  鐘寧は昭和六一年五月一六日(以下、昭和六一年五月については日付のみで表示する)にやけどの治療で原告徐に連れられて被告の設置運営する東京女子醫科大学病院(以下「被告病院」という)に来院し、形成外科で治療を受けたのを契機に、その後から二二日まで被告病院の小児科等において、被告の被用者あるいは履行補助者である三石洋一医師、平野幸子医師、星順医師、兼松幸子医師、今井医師及び松崎医師(以下医師名は姓のみで表示する)の診療を受けたが、この間に急激に容態が悪化し、死亡した(以上の事実は争いがない)。

3  原告らは鐘寧の死亡について、被告病院の右医師らが脱水症状に対する治療を十分になさなかつたこと、若しくは投与したプリンペラン(鎮吐剤)を誤つて処方したことのいずれか、あるいはその相互作用により重篤なショックに陥り、かつ、右医師らがその後のショックに対する治療を十分に尽くさなかつたために死亡するに至つたものであるとし、原告らそれぞれについて(1)鐘寧の逸失利益三六六六万五六六〇円、(2)慰謝料二〇〇〇万円合計五六六六万五六六〇円の各二分の一である二八三三万二八三〇円、原告李については、これと(3)葬儀費用五〇万円、(4)弁護士費用三一五万九〇〇〇円の総合計三一九九万一八三〇円の、原告徐については、右二八三三万二八三〇円と(5)弁護士費用三一〇万一〇〇〇円の総合計三一四三万三八三〇円の損害をそれぞれ被つたとして、被告に対し診療契約上の債務不履行責任ないしは右医師らの不法行為による使用者責任に基づき損害賠償を請求をした事案である。

二  事実経緯

《証拠略》によれば、被告病院における鐘寧の病状の推移及びこれに対する治療経緯として次の各事実を認められる。

1  鐘寧は一六日、ボットの湯で腹部、左大腿部、左前腕部にやけど(二度)を負つて、被告病院の形成外科で、リンデロンVG軟膏等を塗布され、内服薬としてケフラールドライシロップとポンタールシロップ(消炎、鎮痛剤)四日分の処方を受け、翌一七日にも、形成外科でやけどの手当てを受けた。

鐘寧は一九日にも形成外科でやけどの手当てを受けているが、そのとき鼻閉、咽頭痛、咳、鼻汁の感冒様症状が認められたことから、形成外科から被告病院の小児科に診療が依頼され、鐘寧は小児科で泉医師の診療を受けた。同医師は、母親の原告徐から一八日夜から一九日早朝にかけて持続性の咳があつた旨の申立てを受け、前記症状と合わせて喘息性気管支炎と診断し、鐘寧に対し、テオドール、ベロテック及びムコソルバン(いずれも気管支炎、気管支喘息に対する薬剤)を処方した。

鐘寧は、二〇日午前一一時三〇分ころ、原告徐に連れられて被告病院の形成外科を受診したところ、やけどはかさぶたの状態になつており、内服薬としてケフラールドライシロップとポンタールシロップの処方を受けて帰宅した。

2  原告徐は、鐘寧が二〇日午後三時過ぎころから、寒気や腹痛を訴え、午後七時ころから、五回程度黄色い液体の嘔吐を繰り返したので、同人を連れて同日午後八時四五分ころ、被告病院の救急外来受付を訪れた。同原告は小児科と形成外科の診察券二枚を受付に出したが、ほとんど日本語が話せないので、受付の職員や看護婦はとりあえず小児科の当直医に電話連絡した。連絡を受けた小児科の今井医師が診察に当たつたが、同原告が日本語を理解できないため、身振り手振りを交え、同原告が持参した韓日辞典を使いながら問診を進めた。

今井医師が聴取し得たところは、鐘寧は食欲不振で二〇日午後七時ころから五回程度嘔吐したが、下痢、発熱はなく、ぐつたりしているという症状であること、二歳当時熱性けいれんを発症したこと以外には既往歴は特にないということであつた。

今井医師の診察によれば、鐘寧は体温三五・四度、心拍数一六四、全身状態は悪くなく、やや眠気があり、顔色は蒼白、咽頭は軽度に発赤、肺は正常肺胞音、心音は清澄、腹部は柔らかく、便通は良好、項部硬直やケルニッヒ徴候(髄膜刺激症状の髄膜炎のときに現れる症状)も認められなかつた。また、ツルゴール検査(皮膚の緊満度ないしは緊張感によつて脱水症状の有無及び程度を判定する検査であり、皮膚と皮下組織を指でつまみ、緊張感を把握するもの)によれば、鐘寧の皮膚の緊満度は正常であつた。

今井医師は右症状を総合して、鐘寧は急性胃腸炎であり、点滴輸液を必要とするほどの脱水症状にはないと診断し、鎮吐剤であるナウゼリン(ドンペリドン)座薬二分の一個を同人の肛門に挿入した。その上で、同医師は同座薬三個を処方し、原告徐に対し帰宅して様子をみるよう指示した。なお、前日(一九日)に泉医師が診断を下した喘息性気管支炎はこの時点では認められなかつた。

そのころ、他に救急外来にけいれんの患者が救急車で運ばれてきたため、今井医師は当直の兼松医師に応援を依頼した。同医師は、日本語がほとんど通じない中で問診が行われていることから、念のため再度鐘寧を診察したところ、今井医師と同様の診察結果をみたので、原告徐に対し、帰宅してよいが、できるだけ食べ物は食べさせないで水を少しずつ飲ませ、再度嘔吐があれば夜中でもすぐに来院するように指示した。

3  兼松医師は右の診察後、救急外来から形成外科の当直医笠本医師を呼び出し、鐘寧のやけど部位の包帯を交換させたが、同人は右処置中に被告病院で最初の嘔吐をした。右嘔吐の事実の連絡を受けた兼松医師は、再び鐘寧を診察し、同原告に対し鐘寧に点滴輸液を施すことを告げた。

すなわち、中等度以上の脱水症状には点滴輸液を必要とするが、右にいう脱水症状とは、体内の一〇パーセント以上の脱水状態を指すものと被告の医師らは理解しているところ、右基準によれば、鐘寧の場合、体重は一八キログラムであつたから一・八リットル以上の体内の水分の喪失をいうことになるが、兼松医師には午後七時ころからの三時間の間の嘔吐のみで鐘寧に一・八リットル以上の大量の水分の喪失があつたとは推認できなかつた。しかし、同医師は、幼児が嘔吐を繰り返し、体内の水分(体液)を喪失していくと体液中の電解質が欠乏し、体内の代謝過程を支える体液(血漿、組織内液及び細胞内液)の平衡が崩れ、更に嘔吐を引き起こしやすくなり、重度の脱水症状に進行するおそれがあると判断し、原告徐に対し、右の脱水症状の悪化、進行を防ぐために、体液の構成分であるナトリウム、カリウム、クロール等の電解質の入つた液を点滴輸液することを勧めたものである。

しかし、原告徐は、点滴及び注射の措置を嫌い、点滴輸液を承諾しなかつた。兼松医師は言葉が通じないために理解が得られないものと考え、同原告に対し、夫である原告李に連絡を取るよう要請したが、同原告は飲食業のアルバイトをしていて、連絡が取れないということであつた。そこで、救急外来の婦長は急きよ韓国人の知人に電話をかけ、電話を通しての通訳を依頼して説得に努めたところ、原告徐は、鐘寧の状態はそれほど悪くないし、注射針を刺すのは痛いのでかわいそうだという理由で点滴輸液を拒否していることが判明した。

そこで、婦長は原告徐を電話口に出し、再度、韓国人の知人を介し、このまま帰宅しても再度嘔吐が認められれば、すぐ来院する必要があると医師が言つているので、入院したくないとしてもせめて翌日の朝までだけでも点滴輸液を受けてから帰宅するようにと、三〇分以上かけて説得したところ、ようやく同原告は翌朝までということで点滴輸液を承諾した。

4  右の結果、兼松医師は、小児科病棟の今井医師に対し、電話で点滴輸液を指示し、同医師は被告病院二号棟三階三一二号室にベッドを確保して、鐘寧に点滴輸液を試みた。しかし、同人は二〇日午後九時四五分から一一時三八分までの仮入院の間の四〇分間くらい激しく泣いて暴れ回る状態であり、この間同医師は看護婦二、三人で鐘寧を抑えて点滴輸液を試みたが、同人はかなり体格のよい小児であり、輸液路とすべき適切な静脈を確保することができず難渋していたところ、右処置室の外でこの様子を窺つていた原告徐は、いきなり右処置室に入つて興奮した様子で鐘寧にすがりつき、「家に帰ります。朝、父さんと一緒に来ます。」とつたない日本語で言い張つたため、同医師は右処置を中断せざるを得なくなつた。

鐘寧は右処置の途中の午後一〇時二〇分ころ唾液のみの嘔吐をし、その直後はぐつたりしていたが、その後再び泣き声も強く抵抗も激しく極めて元気になつており、今井医師には嘔吐の再発の可能性は薄いと判断された。

そこで、今井医師が兼松医師に点滴輸液の努力を続けるべきかどうかを相談したところ、同医師は原告徐の反対がある以上点滴輸液を強行することはできないが、このまま鐘寧を帰らせてしまうのも適当でないと判断し、今井医師に対し、原告徐と鐘寧に救急外来に来てもらうように指示した。

右の経緯の後、兼松医師は鐘寧を再診したところ、同人の顔色は良く元気が良さそうであつたので、原告徐に対し、帰宅してよいが、前に説明したとおりできるだけ食べ物は食べさせないで水を少しずつ飲ませ、再度嘔吐が認められるようであれば夜中でもすぐに来院させるように、そして、再度嘔吐することがなくても必ず翌日(二一日)は朝のうちに小児科の外来を受診してもう一度念のために診察を受けるようにと身振り手振りを交えて指示したところ、同原告はその都度うなずいていた。鐘寧は、同原告に連れられて同日午後一二時ころ帰宅し、翌朝午前五時まで熟睡した。

5  鐘寧は、二一日午前五時にいつたん起床してジュースを飲み、お粥を食べた後、再び睡眠をとつて午前九時ころ目を覚ましたが、この時点で発熱していた。そこで、原告李は近所の薬局で解熱剤座薬を買い求め、これを鐘寧の肛門に挿入したところ、同人は少量の下痢をした。しかし、同人の熱は四〇度から下がらず、原告らは鐘寧を連れて、同日昼過ぎ、通常の外来の診療時間を過ぎていた被告病院の小児科に来院した。

松崎医師が原告らを交えて鐘寧を問診したところ、前日(二〇日)帰宅してからは嘔吐はなく、二一日朝から四〇度の発熱があり、食欲低下はあつたが、朝、昼にジュースとお粥など(量については不明)をとつており、下痢はなく、自宅と病院で各一回少量の排尿をみたということであつた。同医師の診療によれば、鐘寧の体温は三七・三度、全身状態は悪くなく、胸部に異常はなく、腹部には腸雑音の亢進が認められたが、触診では柔らかくて腫瘤は認められず、皮膚の緊満度に異常はなく脱水所見は認められず、咽頭には著明な発赤があつたが、膿は付いておらず、髄膜刺激症状(髄膜の急性・亜急性炎症ないし刺激状態に際してみられるもので、頭痛、項部強直、ケルニッヒ症候、悪心、発熱等)は認められなかつた。

松崎医師は、二一日には一応鐘寧の嘔吐は止まつており、問診では下痢も認められず、格別の胃腸症状もなかつたことから、同人の発熱は急性胃腸炎を伴う急性咽頭炎によるものと診断し、内服薬と解熱剤として〈1〉鎮咳・去痰剤(ビソルボン)、抗ヒスタミン剤(ペリアクチン)、気管支拡張剤(イノリン)、〈2〉解熱用座薬(アンヒバ)、〈3〉抗生物質を処方することとした。

右診察後、原告らは鐘寧を連れて、薬局に右の各薬を受け取りに行つたが、右薬の処方を待つ間に鐘寧が嘔吐と水様下痢を一回ずつした。そこで、松崎医師は同人を再び診察室に呼んで診察した。同医師は、下痢している場合、座薬の投与は腸管を刺激して下痢症状を進行させることがあるし、薬の吸収も非常に悪いことから適当でないと判断し、解熱剤の臨時頓服として〈2〉の座薬(アンヒバ)に代えてポンタール一〇ミリリットルのシロップを飲み薬として投与することとし、原告らに様子を見るように指示した。

松崎医師は、原告らが右の説明に納得しなかつたため、言葉の問題もあると考え、医局にいた平野医師に応援を依頼した。

6  平野医師は兼松医師から「前の晩に吐いて救急外来に来た子がいて、点滴をしようとしたんだが、うまく入らなくて結局帰つた韓国のお子さんがいた。翌日来るように言つたんだけれども、もしかしたらそのお子さんかもしれない」という話を聞いて、診察室に入つた。診察室には鐘寧と原告ら及び看護婦がいた。

平野医師は改めてそれまでに記載されたカルテを見て、松崎医師、原告らから話を聞いた。しかし、原告徐は日本語をほとんど理解することができず、原告李についても片言の日本語を話す程度で平野医師が平易な言葉でゆつくりと話せば何とか理解できる程度であつた。

右の状況で平野医師が理解したところによれば、鐘寧は昨日(二〇日)帰宅してからは嘔吐はないが、二一日朝から高熱が出ており、食欲はなく、お粥を少量と水を摂取できる程度で、下痢はなかつたが熱がある上、外来で診察を受け薬の処方を待つていた際に、嘔吐と下痢を一回ずつしたので、このまま帰宅するのが心配であるということであつた。

平野医師の問診、視診及び触診による所見は、鐘寧は項部硬直はなく、胸部は肺及び心臓の両方とも異常なく、腹部は非常に柔らかで、体熱感はなく、皮膚の緊満度からは中等度以上の脱水症状は認められなかつた。また、急性腹症といわれるような腹部の急激な病気や急性腹膜炎のような場合にみられる症状である筋性防御はなかつたが、腸雑音は非常に亢進しており、診察中に黄色の水様性下痢を一回した。

平野医師は、鐘寧には二一日の数日前から咳や鼻水、咽頭痛などの上気道感染症状、嘔吐及び下痢という胃腸管の症状があり、二一日には発熱も認められ、上気道と消化管の感染症状と思われる症状があつたものの、同様の症状を呈する別の疾患であつて注意を要する髄膜炎及び脳炎は認められないと判断し、松崎医師の診断と同じく、鐘寧は急性胃腸炎を伴つた急性咽頭炎であると診断したが、消化器疾患症状が再発していること、頻繁に吐く場合には内服薬だけでなく点滴輸液が最も妥当な治療法であること、発熱のある場合には脱水症状も進行しやすいからなおさら点滴輸液が必要となること、下痢が始まつていれば下痢によつても脱水症状が進行する危険があること、一度嘔吐が治まつた後に再度時間をおいて嘔吐が再開した場合には何回か続けて嘔吐する可能性があること、脱水が進むと体液中の電解質の平衡が崩れ、時には心臓にも負担がかかり循環血量が低下して腎臓にも悪影響が及び、けいれんが起こるなど重症になるおそれがあることなどから、同人は右時点では未だ点滴輸液が必要なほどの脱水症状にあるとまでは認められないものの、積極的に点滴輸液を施した方が症状の改善により効果的であると判断して、更に原告らに対し、その旨を説明して三〇分以上にわたつて点滴輸液を勧めたが、原告らの承諾は得られなかつた。

そのため、平野医師は、鐘寧の年齢(三歳)、右時点の症状等から、それ以上点滴輸液を勧めることを中止し、とりあえず薬を飲んで自宅で様子を見てもよいと話した。ところが、原告らは右指示に不安を訴え、点滴輸液以外の方法による鐘寧の症状の積極的な改善策を求めた。

そこで、平野医師は、再度点滴輸液が最善の治療であると説明したが、原告らは再度これをかたくなに拒否し、同医師は更に何度も話し方を変えて説明を繰り返した。しかし、原告らは同医師の右説明に納得せず、原告李は韓国ではこういう時には臀部に一本注射を打つてすぐに治してくれるという話をして即効性のある治療を望んだ。同医師は、同原告のいう注射とは解熱剤の注射であろうと推測したが、右注射は筋肉注射で筋拘縮症などの危険を含み、効果の点でも必要性が認められなかつたので、その旨を説明して右注射をしなかつた。すると、原告らは鐘寧が心配であるから医師に様子を見ていてほしいと希望したので、同医師は右要望に対し、病院側で経過観察することのできる入院を勧めたところ、原告らは入院を拒否した。

右のようなやり取りを経て、結局、平野医師は、鐘寧が三歳児の平均体重をかなり上回る体格であり、それまでに特に大きな病気をしたことがなく外観上健康そうであること、同人は当日(二一日)被告病院で嘔吐を一回、下痢を二回したのみと聴取していたこと、同人には軽度の脱水症状は認められたが、それは点滴輸液を必要ないしは不可欠とするような中等度以上のものではなく、とりあえず嘔吐さえ抑えれば急激に重度の脱水症状に進行することもなく、薬も経口摂取できるので自宅で一晩くらい様子を見てもよいと判断し、点滴輸液及び入院による経過観察については断念した。

そこで、平野医師は、とりあえず水分及び薬の経口摂取を可能とするために鎮吐剤を投与することとしたが、鐘寧には下痢が認められたことから、前日の二〇日夜外来で処方したナウゼリン座薬は適当ではなく、また、嘔吐についても薬の処方を待つ間に一回あつたことから、経口による投与も適当ではないと判断して、鎮吐剤であるプリンペランを静注により投与することとした。原告らは右静注も嫌がつたが、同医師から上手な医師が痛くないようにすると説明され、ようやく納得して応じた。

7  平野医師は、二一日午後三時ころ、外来処置担当の星医師に直接会つて鐘寧の様子を説明し、嘔吐を抑えるために五パーセントぶどう糖を六〇ミリリットル、プリンペラン二分の一アンプル(五ミリグラム)を静注するように指示した。右指示を受けた星医師が静注に際して診察したところ、鐘寧の顔色は悪くはなく、ツルゴール検査による脱水症状の所見結果にも問題はなく、口唇の乾燥もなく、注射針を刺すと痛がつて暴れていたし、静注のためには看護婦が体重をかけて押さえていなければならないほどで、かなり元気な状態であると認められた。

そこで、星医師は、原告徐を診察室から退出させ、原告李だけを鐘寧に付添いとして在室させた。同医師が鐘寧に注射針を刺そうとしていると、同人はほんの少しずつ四、五回くらい下痢をしたため、看護婦に紙おむつを取り替えさせたが、同医師は右下痢の原因はおそらく嘔吐と同じで風邪による消化器症状の一環と考えた。

ところで、星医師は、最初はトンボ針で静脈穿刺しようとしたが、鐘寧はかなり体格のよい小児であつたため静脈をなかなか触知できず、数回穿刺を試みたが針を刺すのが困難であつたため、二四ゲージのサーフローという別の静脈留置針に替えてようやく静脈穿刺に成功し、ゆつくりと末梢静脈に注射を終えた。その間、同医師は数回の穿刺の間にも時間を置かなければならないし、鐘寧をなだめるなどしていたため、静注の指示を受けてから注射を終えるまでに一時間余り経過した。また、使い捨ての五〇ミリリットルの注射器に液体を入れてサーフローの留置針で注射する場合、ガラスの注射器よりも抵抗があることから物理的に少なくとも五分くらいはかかるので、右静注そのものについても五分から一〇分くらいの時間がかかつた。

星医師は右注射後、鐘寧の様子を見ていたが、静注時からやや嗜眠傾向にあつたほかは特に変化はなかつたため、原告らに対し、帰宅して平野医師の指示に従うように指示した後、午後四時ころ診察室を出て、注射の経緯及びその後の鐘寧の様子について小児科の医局にいた同医師に報告した。なお、星医師が診察室を出た後は、注射の際介護をしていた斉藤看護婦がその場に残つて鐘寧の様子を見ていたが、特に変化はなかつたので同看護婦も退室した。

8  その後、原告らは鐘寧を連れて、午後四時一三分ころ、薬局で処方箋を提出して、外来診察室前の待合の椅子で薬剤の処方を待つていたところ、同人が上肢を屈曲して一度のけぞるようにビクッとした。

そこで、原告李は通りかかつた大堀看護婦に対し、鐘寧の様子が変でけいれんを起こしていると話し、同看護婦はすぐに診察室に入れて鐘寧を診たが、けいれんの症状は認められなかつた。しかし、同看護婦は、午後四時二〇分ころ、急いで医局にいた平野医師に、原告李から右の訴えがあつたことを電話連絡した。

平野医師は、右連絡を受けて直ちに外来診察室に赴いたが、鐘寧にはけいれんは認められず、ベッドの上に仰向けになつており、先程診察したときより、元気がなさそうであつたが、嘔吐の痕跡はなかつた。そこで、同医師が、原告李に様子を聞いたところ、鐘寧はけいれんし、その後同原告のことが白く見えるとか目が見えないとか話しているということであり、また、身振り手振りを交えたやり取りで同医師が把握した右けいれんの状態は、中枢神経系の異常を窺わせるような全身性間代性けいれんや全身性強直性けいれん時のようにガクガクするという様子でもグーッと突つ張る様子でもなく、ブルブルしていたというものであつた。また、同医師が鐘寧を診察したところでも、けいれん後に通常顕著に認められる意識のもうろう状態が認められなかつたことから、同医師は鐘寧が呈した症状はおそらく医学的な意味でのけいれんではなく、悪寒のような震えではないかと考えた。

しかし、一応右のように診断したものの、平野医師は、鐘寧の顔色がよくない上に目が見えないという訴えもあつたので、同人の眼前に指を一本、二本、三本と順次突き出して、正しく数えられるかどうかを調べたところ、正確な応答が得られた。このため、同医師は鐘寧に重篤な危険を予測させるような意識障害はないものと判断した。

また、鐘寧には神経学的にも異常は認められず、体の硬直や反射の異常亢進もなく、瞳孔、対光反射も正常であり、上肢及び下肢の腱反射に異常はなく、胸部及び腹部の聴診を繰り返した結果も特に前回と違つたところはなかつた。以上の診断から、同医師は鐘寧にけいれんの症状はなかつたと判断したが、更に二〇分から三〇分くらい経過を見ていたところ、元気のない様相のほかは特段の変化は認められなかつたものの、この時点で鐘寧は先程とは若干様子が違うという印象を持つた。

このため、平野医師は、原告李からけいれんの訴えを受けていたし、再度熱が上がる可能性もあり、下痢もあつて元気がなくなつているからとして、入院を再度勧めたが、原告らはやはり入院も点滴輸液も拒否した。そこで、同医師はやむなく原告ら及び鐘寧に対し、いつたん帰宅して、変化があつたらすぐに来院するよう指示して医局に戻つた。

9  平野医師が二一日午後四時ころ医局に戻つたところ、外来診察室の看護婦から原告らが鐘寧の入院を承諾したとの電話があつた。同医師はすぐに外来診察室へ戻り、鐘寧の入院の手配をしていたが、その間に同人の顔色が徐々に悪くなり、口唇にチアノーゼ様の症状が発症し、意識も傾眠状態に陥つていくような状態にあつた。この時点で同医師は、鐘寧はもはや単純な急性胃腸炎ではなく、急性脳症の疑いがあると考えて治療を行うこととして、同人を外来診察室から被告病院二号棟四階の病棟処置室へストレッチャーで搬送した。

10  病棟処置室では三石医師が、主に治療に当たつたが、鐘寧は前記処置室に到着した二一日午後五時ころには非常に重篤な状態に陥つた。すなわち、そのころの同人の状態は血糖値五九ミリグラム/デシリットル、顔面蒼白、末梢冷感著明、チアノーゼ発現、呼吸は非常に浅くかつ非常に早く、意識不鮮明で、ほぼ昏迷から傾眠状態で、血圧が低下し、脈が非常に微弱で、時々うわごとを言うなど急性循環不全と意識障害を来していた。しかし、他方で、同医師は、口唇は軽度乾燥で、ツルゴール検査の結果によれば皮膚の緊満度はそれほど低下しておらず、脱水症状としては非常に軽度であると診断した。

三石医師は、右の診断を踏まえ、まず、循環不全を改善するために初期大量輸液及び適切な救急蘇生薬投与のために静脈留置針を穿刺して輸液路を確保し、検査のための採血及び採尿を他の医師に指示した。なお、同医師は、右入院直後の午後五時ころに急性循環不全からの腎機能低下を念頭において、鐘寧の腎機能検査や代謝異常の検査(血液生化学検査、乳酸、ピルビン酸、アンモニア、動脈血液ガス分析、血糖値の検査等)をしているが、血液生化学検査の結果については同日午後六時ころ、乳酸、ピルビン酸の検査の結果については死亡後の二六日になつて判明している。右血液検査の結果によれば、ヘモグロビン一五・二グラム/デシリットルであり、右採血時に鐘寧は苦痛を訴えたが、対光反射は鈍化していた。また、二六日に判明した代謝異常の検査報告書によれば、乳酸の正常値が三・三から一四・九ミリグラム/デシリットル、ピルビン酸の正常値が〇・三〇から〇・九四ミリグラム/デシリットルであるところ、乳酸は八三・九ミリグラム/デシリットル、ピルビン酸は四・八九ミリグラム/デシリットルとそれぞれ非常に高い数値であつた。

11  その後の鐘寧の容態の推移は次のとおりであつた。すなわち、二一日午後五時一〇分ころ、同人の体温は三八・三度、脈拍数は一六〇と微弱、呼吸は五六と浅表性であつて、血圧は通常の方法では測定できないほど低下した状態であり、おむつを交換したところ、多量に黄色から緑黄色の水様粘液便が認められたが、排尿は認められなかつた。

三石医師は右容態の鐘寧に対し、午後五時一〇分ころ、小児の脱水症状及び急性循環不全の場合に施す初期開始液であり、カリウムを含まない通常の電解質の三分の二の量が入つている電解質液であるソリタT一号二〇〇ミリリットルの点滴輸液を左足背より二四ゲージサーフロー針で開始した。

他方で、同医師は午後五時一五分ころ、鐘寧が自発呼吸をしているものの、呼吸数は六〇と浅表性で、頻脈、多呼吸の上血圧低下の状態の改善がみられなかつたので、同人に酸素マスクを用いて酸素の投与を開始した。

午後五時二二分の静脈血液ガス分析(アストラップ)の結果によれば、鐘寧の静脈血のペーハーは七・二四五(正常値が七・三五から七・四五である)、静脈血酸素分圧(PO2)は二七・一ミリメートル水銀柱、静脈血二酸化炭素分圧(PCO2)は三三・九ミリメートル水銀柱、HCO3は一四・二ミリメートル/L、ABEはマイナス一一・九であつた。右のペーハー値からすると静脈血は酸性に傾いており、代謝性の中等度の酸血症(代謝性アシドーシス)が発生していると判断された。そこで、三石医師は、鐘寧は午後五時三〇分には、血圧は収縮期が八四と微弱ながら測定できるまでに回復したところ、右の点滴輸液処置で循環不全を改善することにより二次的に酸血症の改善が期待されたが、体液の平衡を調整して酸血症を一層改善させるために、アルカリ剤であるメイロン(重炭酸ナトリウム製剤)二〇ミリリットルを静注し、点滴輸液中のソリタT一号の残量一〇〇ミリリットル中にもメイロン一〇ミリリットルを混入させて投与した。そのころ、引き続いて胸部のレントゲン写真が撮影されたが、肺水腫を含めた胸部の疾患は認められなかつた。

三石医師は鐘寧に対し、午後五時五〇分、ソリタT一号二〇〇ミリリットルの輸液を追加したが、そのころには鐘寧の血圧は収縮期が一一〇、拡張期が六四となり、口唇色もやや良くなり、呼吸も安定し、意識程度は向上して刺激に対し苦痛を訴えるなど症状が改善されたが、覚醒には至らなかつた。

12  三石医師が鐘寧の入院直後に、急性循環不全に起因する腎不全状態を慮つて実施した腎機能検査(血液生化学検査)の結果は二一日午後六時ころ判明したが、これによると尿素窒素が四三ミリグラム/ミリリットル、尿酸が八・六ミリグラム/ミリリットルと正常値よりやや高値であつたが、クレアチニンが一・〇ミリグラム/デシリットルと正常範囲内、ナトリウムが一四〇mEq/リットル、カリウムが四・七mEq/リットル、クロールが一〇五mEs/リットルと電解質の値も動いておらず、血清GOT(肝、筋肉)は五三、GPT(肝)は二二であり、入院直後の鐘寧には腎不全というほどの腎機能障害が生じているものではなかつた。

また、午後六時〇二分の動脈血液ガス分析(アストラップ)の結果によれば、ペーハーは七・五二二、動脈血酸素分圧(PO2)は一〇六・〇ミリメートル水銀柱、動脈血二酸化炭素分圧(PCO2)は二〇・七ミリグラム水銀柱、HCO3は一七・〇ミリメートル/L、ABEはマイナス三・四と改善しており、鐘寧に対する初期治療は十分に奏功した安定した状態となつた。通常、いつたん酸血症が回復すると再度悪化することは少ないところである。

なお、入院時から右時点までの約一時間に四〇〇ミリリットルの点滴輸液がなされたが、これは二二ミリリットル/キログラム(体重)/時に該当し、重症の循環不全の場合に通常行われる初期治療である。

三石医師は鐘寧に対し、午後六時一五分ころ、ソリタT一号二〇〇ミリリットルの輸液を追加したが、同人は既に血圧が安定してきており、入院直後に行われ午後六時すぎに判明した前記腎機能検査の結果から尿素窒素及び尿酸の値が正常値よりやや高値なことが判明し、急性循環不全により多少とも腎性腎不全の状態が考えられることから少し点滴の速度を落とし、左の追加輸液の点滴には二時間余りを費やすこととした。右輸液の終了後、同人の血圧は更に安定し、意識も更に向上して落ち着いた状態になつてきた。また、そのころ(午後八時ころ)胸部レントゲンをポータブル装置で撮影したところ、それまでの間に体内に注入された輸液その他の水分により発症が心配された心拡大及び心不全状態等の胸部の異常及び肺水腫の所見は認められず、右大量輸液に対しても心臓は十分に機能していた。心電図(ECG)にも異常波形は認められなかつた。

13  三石医師は鐘寧に対し、午後六時三〇分ころ、それまでの輸液等水分投与により腎機能障害の進行を防ぐために利尿剤であるラシックス(フロセミド)一五ミリグラムを静注したが、ほとんど反応はなかつた。また、同医師は、鐘寧の入院時に急速な意識障害が認められ、中枢神経系の脳障害の存在も考えられたことから、入院時から急性脳症を念頭におき、右利尿剤投与と併せて脳波モニターを開始した。なお、脈拍数は二一〇であり高度の頻脈であつた。

そして、午後六時三六分ころの脳波記録(乙一二)によれば、基礎波形として脳全体に徐波成分が多いことから広汎な大脳障害の存在が推定され、広義の急性脳症様反応若しくは何らかの先天性代謝異常を原因として急性循環不全状態が発生したものと考えられた。

三石医師は午後六時四五分ころ、鐘寧の膀胱から尿一・六ミリリットルを直接カテーテルで排出したが、尿は混濁しており、ペーハーは五で、蛋白は陽性であつたが、他の検査項目は陰性で、尿比重一・〇二三であつた。

14  前記のとおり入院直後からの初期治療は一応の効を奏したのであるが、その後鐘寧は午後六時五〇分ころ、黄色ないし緑色の胆汁様の嘔吐をし、午後六時五二分ころ、初めて全身性強直性けいれんを起こした。右けいれんは二、三分で自然に止まつたが、自発呼吸は停止し、脈拍も触知できず、血圧も測定不能の状態になり、チアノーゼが出現するど症状が悪化した。

三石医師は、意識障害が継続してけいれんが生じたことから、先天性代謝異常に基づく急性脳症様の症状ではないかとの疑いを持つた。鐘寧には先天性代謝異常を疑わせる徴候は認められなかつたが、三歳くらいまで健康でいた小児が先天性代謝異常で急速に悪化していく例はまれであるが存在することは、医学上よく知られていることであつた。代謝異常を来すと脳の機能を維持することができなくなり、脳症として意識障害及びけいれんが発症するため、同医師は鐘寧に対し、速やかに循環不全の状態を改善するための対症療法をとることにして、アンビューマスクを用いて酸素を投与した。

また、三石医師は午後七時一〇分ころ、強心剤(カテコラミン)を使つて血圧を上昇させ、心筋収縮力を増強させ、尿量を確保し、循環動態の改善維持に努めようと考えて、二四ゲージサーフロー針を鐘寧の左足背に留置してイノバン(塩酸ドパミン)一〇〇ミリグラムの点滴投与を開始した。なお、同医師は、けいれんの原因となる脳浮腫の存在を確認したわけではないが、けいれんが起こると脳浮腫が起きている可能性があり、また、脳浮腫は大量の点滴輸液によつて助長されることになるので、右点滴輸液については少なめにするという常套手段を採つた。

15  鐘寧は右点滴中の午後七時一二分ころ、再度全身性強直性けいれんを起こしたが、これも特に処置をしない間に自然に停止した。

そこで、三石医師は鐘寧に対し、午後七時一五分ころ、抗テタニー(強直)剤であるカルチコール(グルコン酸カルシウム)一〇ミリリットルを静注し、午後七時一七分ころ、血圧下降に対する応急処置剤であるボスミン(エピネフリン)〇・八ミリリットルを静注した。また、午後七時二〇分及び二三分ころ、けいれん再発に備えて抗けいれん剤と鎮静剤の作用のあるセルシン(ジアゼパム)二・五ミリグラムを二回にわたつて静注し、午後七時二四分ころ、アンビューマスクに続いて気管内挿管を施して酸素投与をしたが、自発呼吸は認められなかつた。

他方で、三石医師は鐘寧に対し、午後七時二二分ころ、イノバンの点滴速度を高めたが、血圧は収縮期が五五で拡張期は測定できなかつた。

また、三石医師は鐘寧に対し、午後七時二五分ころ、メイロン一〇ミリリットルを静注し、更に点滴輸液中のソリタT一号の残量一一〇ミリリットルの中にメイロン一〇ミリリットルを混入させて点滴輸液を継続した。

しかし、午後七時二七分の血液ガス分析(アストラップ)の結果によれば、ペーハーは六・八九一、酸素分圧(PO2)は一二・一ミリメートル水銀柱、二酸化炭素分圧は(PCO2)六九・七ミリメートル水銀柱、HCO3は一二・四ミリメートル/L、ABEはマイナス二二・六であり、血液が酸性に傾き、代謝性の酸血症は再度悪化した。

そこで、三石医師は鐘寧に対し、午後七時三五分ころ、抗テタニー(強直)及び電解質補正のために塩化カルシウム五ミリリットルを静注し、イノバンの点滴速度を更に高め、午後七時四〇分ころ、メイロン一〇ミリリットルを静注した。このころ、同人の脈拍数は二〇七、血圧は収縮期が五〇で拡張期は測定できなかつた。心電図によれば、心拍は整い不整脈はなかつた。

三石医師は鐘寧に対し、午後七時四五分ころ、けいれん後も意識障害が続いていることから脳浮腫が発症していることを予想し、脳浮腫改善剤としてグリセオール(濃グリセリン・果糖)二〇〇ミリリットルの点滴投与を開始した。

16  三石医師は午後七時五二分ころ、気管内挿管の先端が正しい位置にあるかどうかを確認するために胸部レントゲン撮影をしたところ、右挿管は先端が右の方に深く入り過ぎていたので、少し引き戻して挿管を最も良い位置に修正した。その際には胸部に肺水腫等の疾患は認められなかつた。

午後七時五二分の静脈血液ガス分析(アストラップ)の結果によれば、ペーハーは七・〇五九、酸素分圧(PO2)は一七・一ミリグラム水銀柱、二酸化炭素分圧は(PCO2)六三・二ミリグラム水銀柱、HCO3は一六・九、ABEはマイナス一三・八であり、依然酸血状態は改善しなかつた。

午後八時ころの鐘寧には自発呼吸は認められたが、意識はなく、血圧は収縮期が八〇で拡張期は測定できなかつた。なお、同人には午後五時から午後八時までの間四八八・七ミリリットル弱の水分が補給されているが、これだけの水分が補給された場合は心臓及び肺に一次性病変がない限り肺水腫や心不全が起こることはあり得ないと判断された。

次いで、三石医師は鐘寧に対し、午後八時〇五分ころ、メイロン一〇ミリリットルを静注したが、鐘寧の午後八時一〇分ころの血圧は収縮期が七四で拡張期は測定できなかつた。同医師は、午後八時一五分ころ、グリセオールの点滴投与を終了したが、午後八時一九分ころの脈拍数は一七四であつた。また、午後八時二〇分ころ、麻酔剤であるオムニカイン(塩酸プロカイン)六ミリリットルを注射し、静脈カテーテルを挿入し、イノバンの点滴速度を緩めた。午後八時三〇分ころ、鐘寧は自発呼吸をしており、三ミリリットルの排尿をしたが、呼吸数は五三、血圧は収縮期が九六で拡張期は測定できなかつた。

三石医師は午後八時三五分ころ、ソリタT一号の合計六〇〇ミリリットルの輸液を完了したので、維持輸液に適する電解質液ソリタT三号二〇〇ミリリットルに輸液は変更されたが、午後八時三七分ころ、血圧が再度測定できなくなり、イノバンの点滴速度を再び高め、午後八時三八分ころ、メイロン二〇ミリリットルを静注した。

17  三石医師は午後八時四二分ころ、鐘寧をCT室へストレッチャーで移動させ、午後九時ころ、脳のCTスキャン検査をした。これによると、脳室狭小が生じ、脳溝は一応認められたが、頭頂葉の脳溝が少し少なく、後頭蓋骨にすき間が認められることから、軽度の脳浮腫が疑われた。また、脳組織の密度がやや低い可能性があり、皮質と白質の区別がやや不良であることから、脳組織の無酸素性変化の発生も窺われた。

午後九時ころ、鐘寧に苦悶性自発呼吸のため自分自身を傷つける行為により引き起こされる皮膚病変である人工産物(アーチファクト)が生じたため、全身麻酔剤であるイソゾール(チアミラールナトリウム)七五ミリリットルが静注された。

三石医師は、脳のCTスキャンの後、鐘寧の意識程度、呼吸、循環動態が非常に不安定であつたことから、救命を図る上で更に同人に対し積極的な治療を施すため、二一日午後九時二〇分ころ、同人を集中治療室(ICU)へ移した。

18  鐘寧はICU入室時は、血圧は三〇から四〇と低く、次第に徐脈となり、末梢冷感状態を呈し、瞳孔は一時散瞳が認められたものの丸く等大で散瞳しておらず、対光反射は両方ともなく、眼球頭部反射は両方とも欠如している状態であつたため、被告の医師らは鐘寧に対し、機械補助換気による酸素投与を開始し、大量のイノバン、メイロン、血圧上昇剤であるノルアドレナリン(ノルエピネフリン)及びボスミンの投与による救命措置を施した。

また、治療に当つた被告の医師らは、動脈留置のために大腿部の切開を行つたが、血圧が四〇未満と低く大腿動脈に触れることができず、外科の星野医師及び形成外科の安医師も加わつたが動脈留置はできなかつた。

被告の医師らは右のとおり救命措置を試みたが、鐘寧は右措置に反応しないまま、午後一一時一八分心停止した。そこで、直ちに心マッサージが開始され、ボスミン、ノルアドレナリン、塩化カルシウム、メイロンなどが心注されたところ、いつたんは症状の改善が認められたが、翌二二日午前〇時〇五分再度心停止し、同日午前一時〇二分鐘寧は永眠した。

19  鐘寧の死亡直前の臨床化学検査の結果によれば、尿素窒素は三四・九ミリグラム/デシリットル、尿酸は一五・七ミリグラム/デシリットルで、クレアチニンは二・四ミリグラム/デシリットルと上昇しているが、腎機能の低下は依然軽度ないし中等度であつた。

なお、被告の医師らは二一日午後一一時二〇分眼底検査をしているが、うつ血乳頭の所見はなかつた。

また、三石医師及び平野医師らは鐘寧の死亡直後、原告李に対し、死亡の原因としては急性脳症の疑いがあるが、解剖しなければ確実な診断はできないこと及び急性脳症の原因として先天性代謝異常があつたとも考えられるが、解剖してその原因を究明することは将来第二子以降を出産する際にも役に立つことを説明して、是非解剖に同意して欲しいと説得したが、原告らは二二日午後四時ころ、解剖には同意できないと回答し、鐘寧の解剖はなされていない。

第三  争点及び当事者の主張

本件は、前記認定のとおり、外見上健康な三歳の外国人男児が短時間の間に急激な病変を来し、死亡した事案であるところ、解剖所見が得られていないこともあつて、事後的にも右病変の原因ないしその発生機序を確定的に把握することが困難な事案であり、結局、本件で争点とされるは前記認定の臨床経緯の下で、被告の医師らに(1)脱水症状に対する治療上の過失があつたか否か、(2)プリンペランの静注について過失があつたか否か、(3)右の(1)の過失若しくは(2)の過失、あるいはその相互作用により重篤なショック(急性の末梢循環不全により全身の臓器や組織に十分な酸素化血を供給し得ず、細胞の代謝障害を来す状態)に陥つたものであるか否か、(4)右ショックに対する治療上の過失があつたか否かの四点であり、右各争点について当事者双方の主張は次のとおりである。

一  原告らの主張

1  脱水症状に対する治療上の過失について

(一) 二〇日の治療

鐘寧は、二〇日夜の時点で脱水症状にあつたのであるから、点滴輸液をなすべきであつたにもかかわらず、兼松医師及び今井医師は診断の結果、点滴輸液の必要性を認めて処置を開始したものの、鐘寧の静脈に適切な輸液路を見い出すことができないとして、静脈切開その他の治療を行わないまま点滴輸液を行わなかつた過失がある。

(二) 二一日の治療

鐘寧は、二一日午後〇時二〇分ないし午後四時三〇分に松崎医師及び平野医師の診察を受けた際、二〇日から継続して脱水症状があつたのであるから、点滴輸液をなすべきであつたにもかかわらず、同医師らは脱水症状を看過して点滴輸液を行わなかつた過失がある。

2  プリンペランの静注の過失について

プリンペランは鎮吐剤であるが、副作用が強く、状態の悪化した患者にワンショットで静注すれば重篤なショックを起こす危険があるところ、鐘寧には鎮吐の必要はなく、また、脱水で容態が悪化していたにもかかわらず、平野医師及び星医師は鐘寧に対し必要のないプリンペランをワンショットで一気に静注した過失がある。

3  ショックの原因について

鐘寧は、右1の過失若しくは2の過失、あるいはその相互作用により重篤なショックに陥つたものである。

4  ショックに対する治療上の過失について

鐘寧は、二一日午後四時三〇分ころからは重篤なショック状態にあつたのであるから、〈1〉強心剤(カテコラミン)を投与して十分な輸液、〈2〉ステロイド剤の投与、〈3〉アルブミン・血漿投与、輸血による循環血液量の維持、〈4〉気管内挿管による換気の各治療を緊急になすべきであつたにもかかわらず、三石医師らはこれを怠つた過失がある。

二  被告の反論

1  脱水症状に対する治療

鐘寧は、二〇日、二一日いずれの段階でも点滴輸液を必要とするほどの脱水症状にはなかつた上、原告らから点滴治療を頑に拒絶された事情もあるのであるから、二〇日に兼松医師及び今井医師が、二一日に平野医師及び星医師が点滴輸液をしなかつたことについて過失が認められない。

2  プリンペランの静注

(一) 鎮吐剤のプリンペランは中枢を介した制吐作用に加え、胃・小腸を適切に調整し、大腸には影響のないものであるから、下痢の症状を呈する場合に処方するのが妥当でないとはいえないところ、鐘寧は、二〇日夕方から六回、二一日にも来院後に一回嘔吐をなしたもので、嘔吐症状が治癒していたとはいえず、プリンペランの処方に適した状況にあつたものである。

(二) 星医師は、五パーセントぶどう糖を六〇ミリリットル、プリンペラン二分の一アンプル(五ミリグラン)を鐘寧の手足の細い末梢静注に静注したのであるから、一気にワンショット静注することは不可能であり、ワンショットで静注したなどの事実はない。

(三) 以上のとおりであるから、プリンペランの投与自体及びその方法について被告の医師らには過失は認められない。

3  ショックの原因

鐘寧が重篤なショックに陥つた原因としては、脱水症状及びプリンペラン静注の副作用はいずれも考え難く、急性脳症の可能性を否定できない。

4  ショックに対する治療

(一) 薬物療法(強心剤・ステロイド投与)

十分な輸液、輸血を行つてもショック状態の改善がみられない場合、心機能の減弱がある場合、心原性ショックの場合などには、薬物療法をなすべきであるが、本件の場合においては二一日の入院後全身性強直性けいれんが生じるまでの間は右の症状はなく、右けいれんによつて薬物療法をなす必要が生じたものであるところ、右けいれん後は被告の医師らは鐘寧に対し強心剤を投与している。またステロイドは感染症を悪化させる危険があり、投与には慎重を要するものである。

(二) アルブミン・血漿投与

薬物性ショックの場合にはアルブミン・血漿投与が施されるが、その他のショックの場合には感染の危険があり、その効果については議論がある。

(三) 気管内挿管

ショックの場合、必ず緊急の気管内挿管が必要なものではなく、通常の酸素吸入によつても酸素投与が足りない場合や昏睡状態の場合等に初めて気管内挿管が必要となるところ、本件の場合入院時には右のような状況にはなかつたのであるから、気管内挿管が必要であつたとはいえない。

(四) 以上のとおりであるから、ショックに対する治療についても被告の医師らに過失は認められない。

第四  争点についての判断

一  脇田傑(以下「脇田」という)作成の鑑定書(以下「本件私的鑑定書」という)ないしは証人脇田の証言には原告らの主張に沿う次の指摘がいる。

1  脱水症状に対する治療について

(一) 脱水症状になると、生体の自然な防御反応として身体から失われる水分を極力減らすように、腎血流量が減少し、腎臓でろ過された血液の量も減少し、排尿が減少して老廃物が体外へ排出され難くなるから、各種重要臓器に障害を来し、相当悪化すれば、循環血液量の減少のためショックを起こすこともある。

人間の体液は細胞外液と細胞内液に分かれ、細胞外液である循環血液が血圧及び脈拍に影響を与えるところ、小児は大人よりも細胞外液の比率が大きく、小児が細胞外液を正常の量に保つためには大人よりも多くの水分の摂取を要し、水分の摂取量の減少による脱水症状が小児に与える影響は顕著であるから、小児の脱水症状については慎重に診断することが必要である。

(二) この点、患者の体重が一〇パーセント程度減少しない限り、脱水症状とはいえないとの考え方もないわけではないが、体格のよい小児の患者については体重の減少から判断されるよりも脱水症状が強い可能性も否定できない。

また、脱水症状の診断に用いられるツルゴール検査は、つまんだ皮膚が元に復する時間及びつまんだ感触等による主観的な検査であるから、若干程度の脱水症状の場合及び体格が良く皮下脂肪の厚い小児の患者の場合には脱水症状が判明しないことが多く、それのみでは脱水症状の検査として十分であるとはいえない。

そこで、脱水症状について診断するに当たつては、体重の減少の程度やツルゴール検査の結果のみならず、診察所見、検査所見等を総合して診断する必要がある。

(三) 当時三歳の鐘寧は同年児の平均体重一四・五キログラムを大きく上回る一八キログラムの小児であつたから、脱水症状の診断に当たつては、体重の減少やツルゴール検査のみならず、診察所見、検査所見等を総合して診断すべきであつた。

特に、鐘寧は二〇日の時点で、一〇回程度嘔吐しており、嘔吐物の種類及び量、水分の経口摂取の有無によつては、比較的短時間の間に脱水症状が相当程度進行する可能性があつたから、被告の医師らは鐘寧の脱水症状の有無について慎重に診断することが必要であつた。

この点、体温が低い状態で脈拍が早いこと、傾眠傾向、発熱、尿量減少は脱水症状の徴候と考えられるところ、鐘寧は、二〇日に今井医師が診察したところによれば、体温が三五・四度と低かつたにもかかわらず、脈拍が一六四と早く、ぐつたりしてやや眠気が認められ、二一日に松崎医師が診察したところによれば、当日朝方の体温は四〇度で、診察までに自宅と病院で各一回少量の排尿があつたのみということであつた。

また、鐘寧の入院直後である二一日午後五時ころの血液検査の結果によれば、ヘモグロビンは一五・二グラム/デシリットル、尿素窒素は四三ミリグラム/デシリットル、尿素は八・六ミリグラム/デシリットル、クレアチニンは一・〇ミリグラム/デシリットルであつた。小児のヘモグロビンの正常値は一二グラム/デシリットルであるから、血液の濃縮すなわち脱水症状が右の時点ではあつたものと考えられる。また、尿素窒素、尿酸、クレアチニンの各数値も正常値よりかなり高いが、鐘寧は、それらの数値が高くなる理由としてしばしばあげられる腎臓疾患を有していないものであるから、右の各数値が高くなつたのは循環血液量が減少し、生体の自然な防御反応として腎血流量が減少し、老廃物が腎臓からろ過されて排出されにくくなつたためと推測できる。

(四) 以上の所見を総合すれば、鐘寧は、二〇日に今井医師が診察した時点で既に脱水症状にあつたもので、その後右脱水症状が進行し、二一日午後五時ころの時点では点滴輸液を必要とする中等度の脱水症状に至つていたものと推認される。

そうすると、今井医師及び兼松医師は、二〇日に診察した時点で鐘寧が脱水症状にあることを適切に診断し、鐘寧の足の甲ないしは手背に適切な輸液路を見出し、仮にその位置に適切な輸液路が見つからない場合でも、肘若しくは外頚静脈に輸液路を見い出し、適切な針を選択して点滴輸液をなすべきであつたにもかかわらず、いつたん点滴輸液を試みながら、輸液路の確保に難渋し、原告徐によつて中断されると右処置を諦めて中止した。

また、二〇日から脱水症状は継続していたのであるから、二一日に診察に当たつた松崎医師及び平野医師もその時点で、鐘寧が脱水症状にあることを適切に診断し、点滴輸液をなすべきであつた。しかし、松崎医師及び平野医師は、プリンペランの静注により輸液路の確保ができていたにもかからず、点滴輸液をしなかつた。

2  プリンペラン静注について

(一) プリンペランは、嘔吐が激しく薬剤の経口摂取がままならないときに静注薬として用いられる鎮吐剤であるところ、鐘寧は二〇日に今井医師及び兼松医師が診察した時点では、嘔吐が頻発していたものの、同日帰宅してから二一日に平野医師がプリンペランの静注を選択した時点までは嘔吐はなく、下痢と食欲低下があつたにすぎなかつたのであるから、平野医師はプリンペランの静注を選択すべきではなかつた。

(二) 仮に、鐘寧にプリンペランの静注の必要があつたとしても、一般的にいかなる薬剤であつても生体にとつては異物であるから、ショックを惹起する危険性を有しているところ、プリンペランは錐体外路症状を起こしやすく、血圧を降下させる可能性のある薬剤であり、プリンペランそのものでショック死した症例は存しないものの、ショックが生じたとの症例報告は存するから、ショックの発生を避けるために、ワンショットで静注する方法は避け、点滴輸液に混入させて使用するなどして時間をかけて投与すべきであつた。

(三) 右(一)(二)のとおりであるにもかかわらず、平野医師はプリンペランの静注を選択し、同医師の指示に従つて星医師は二一日午後四時ころ、一〇分程度の速度でプリンペランの静注をした。

(四) 前記1のとおり、鐘寧はプリンペランの静注を受けた当時、既に脱水症状にあつたところ、右静注後の午後五時ころには、顔色蒼白、口唇のチアノーゼが著明、末梢冷感、意識不鮮明、脈拍数が一六〇と微弱で、測定できるだけの血圧が認められないという極めて重篤なショック状態に陥つていることからすれば、右静注を契機として脱水症状を原因とする低血流量性ショックが生じたものと考えられる。

3  ショックの原因について

前記2(四)のとおり、本件の場合、脱水症状にあつた鐘寧にプリンペランを静注したことによつて低血流量性ショックが生じたものである。

なるほど、発病当初の鐘寧の臨床経過は急性脳症に類似しているが、死に至るほどの重度の急性脳症の場合には、かなりの脳浮腫が認められてしかるべきで、その場合、眼底検査により乳頭部のうつ血が認められ、そのうつ血の具合によつて脳圧の亢進の程度が判断できるところ、本件の場合、頭部CTの所見によつても脳浮腫は軽度のものを否定できないという程度にすぎず、また、眼底検査によつてもうつ血乳頭は認められていないのであるから、鐘寧に急性脳症が発症した可能性は低い。

4  ショックに対する治療について

(一) 低血流量性ショックの場合、循環状態が悪化し、重要臓器である脳、腎臓、心臓に不可逆的な変化をもたらすが、遷延は状態の急激な悪化を生じさせるから、緊急に呼吸、脈拍及び血圧等のバイタルサインを改善させるために、患者に次の各治療を積極的になす必要がある。

(1) まず、患者に急速な輸液を考えるべきであるが、それによるバイタルサインの早期回復がない場合は、心臓には少ない血液量で体内の全細胞に血液を送るべく多大な負担が持続しているのであるから、心臓の機能を補助するために強心剤(カテコラミン)、ステロイドを投与することが不可欠である。

(2) また、患者の意識が低下して舌根が落ちたり、嘔吐物が喉に溜ることがあるから、気道確保のために嘔吐物の除去、舌根の沈下を防ぐための肩枕、エアウェイの口腔中挿入も必要となる。

(3) 更に、患者の呼吸を保つことも必要で、自発呼吸が十分ある場合には酸素マスクで酸素を吸入させ、右方法では換気が不十分な場合にはバックで加圧して換気させるバックアンドマスクを口にあてさせ、それでもなお換気が不十分で血圧が測定できないような場合には、気管内挿管を施して積極的に酸素を投与する必要がある。

(二) 本件の場合、鐘寧は二一日午後五時の時点で血圧が測定できないほどの極めて重篤なショック状態にあり、血液中の酸素分圧(PO2)、二酸化炭素分圧(PCO2)の正常値はそれぞれ、一〇〇前後、三五から四〇であるところ、二一日午後五時二二分の血液ガス分析(アストラップ)によれば、酸素分圧(PO2)は二七・一と非常に低下していたにもかかわらず、二酸化炭素分圧(PCO2)は三三・九とあまり低下しておらず、肺の循環が悪化して酸素が血中に溶解していかない状態にあることが判明したのであるから、数分の範囲内で血圧を回復させるために、入院当初から輸液を積極的に行うだけではなく、緊急に気管内挿管を施し、強心剤(カテコラミン)、ステロイドを投与すべきであつた。

右のとおりであるにもかかわらず、被告の医師らは入院後緊急にそれらの処置を施さなかつたことにより、鐘寧のショック状態は最低三〇分以上継続し、脳等の各種重要臓器に死亡ないしは重篤状態に至るような不可逆的な変化が生じた。

なお、二一日午後五時三〇分ころ、鐘寧の血圧が計測できる状態になり、午後五時五〇分ころ、血圧は収縮期が一一〇で拡張期は六四と上昇しているが、その後にけいれんが生じ、急激に病状が悪化したことに照らすと、三〇分以上継続したショック状態により既に各種重要臓器に不可逆的な変化が生じていたものの、輸液の投入により一時的に血圧が上昇したにすぎないと考えられる。

二  しかし、本件私的鑑定書及び証人脇田の証言は、本件が臨床過程における医師の医療処置上の過失の有無が問われている事案であるのに、鐘寧の病状経過について原告らの陳述書に依拠し、実際に診察に当たつた被告の医師らの証人尋問調書を資料としていないこと、カルテには「診察後投薬待ち中嘔吐一回水様性下痢一回」と記載されているにもかかわらず、本件私的鑑定書は原告らの陳述書に従つて「診察後水様性下痢は頻回」としていること、また、脇田は本件私的鑑定書作成時までに、軽い急性脳症の症例とライ症候群の症例について一例ずつ研修医当時に臨床経験したにすぎず、急性脳症について的確な判断をなし得るほどの知識、経験に欠けること、脳浮腫についても右ライ症候群の治療に際して臨床経験したにすぎず、ショックが原因で死亡に至つたり重度の後遺症が生じたという症例を臨床経験したことはなく、小児救急でショックを診察した臨床経験もないこと、その判断自体単に可能性として述べているにすぎないところがあること等に照らすと、脇田所見には被告の医師らの過失を判断する資料としては限界があるものといわざるをえない。

したがつて、脇田所見に全面的に依拠する原告らの主張は、まず右の点で疑問があるというべきである。

さらに、原告ら主張の各個別の過失についても、以下に順次検討するとおりいずれも理由がない。

三  まず、脱水症状に対する治療については、次のとおり被告の医師らに過失を認めることはできない。

1  ツルゴール検査は、脇田自身も脱水の程度を調べるときによく用いる検査であるというものであり、右検査自体が脱水症状の検査として不適当な方法であると断定することはできない。また、前記認定のとおり、被告の医師らは、二〇日及び二一日の診察に当たつてツルゴール検査のみで脱水症状の有無について診断したものではなく、鐘寧がそれまで大きな病気をしたことのないこと、体格が良好であること、顔色、口唇の渇き具合、嘔吐下痢の回数及び量等全身状態に対する総合所見に基づいて、鐘寧の症状は二〇日及び二一日とも、軽度の脱水症状にあることは認識したが、とりあえず嘔吐を抑えれば、水分を経口摂取する方法によつて改善可能な程度であり、点滴輸液を不可欠とする脱水症状には未だ至つていないと診断したものである。

2  そして、前記認定の各所見に加えて、前記認定のとおり鐘寧は、今井医師が二〇日に点滴輸液を施そうとした時点で激しく泣いて暴れ回わり、悪かつた顔色も改善され、泣き声も抵抗も強く激しく元気になつていた上、下痢は認められず嘔吐も午後一〇時二〇分に唾液のみのものがあつてからは治まつていたのであるから、それまでに一〇回程度嘔吐があり、脱水症状の徴候である体温が低い状態で脈拍が早く、傾眠傾向が認められたとしても、鐘寧が同日中に点滴輸液が必要な程度の脱水症状にあつたと認めることはできない。

そうすると、今井医師及び兼松医師が、二〇日の時点で、鐘寧に軽度の脱水症状を認め、その進行を慮つて点滴輸液を勧めたが、輸液路の確保に難渋し、興奮した原告徐に中断させられたことから右点滴輸液をあきらめたことについて、これを不適切な処置であつたということはできないというべきである。

したがつて、在日期間も浅い外国人で、日本語もほとんど理解できず、我が国の医療に対する知識、理解を欠く原告徐が今井医師らの鐘寧に対する診断、治療等について冷静な判断をすることができず興奮状態に陥つて右治療を拒否するに至つていたことをも考慮すれば、今井医師及び兼松医師が前記認定の鐘寧の症状把握を踏まえた上で点滴輸液を強行することを諦め、原告徐に対し、鐘寧を連れて帰宅してよいが、できるだけ食べ物は食べさせず、嘔吐がなければ少量の水を少しずつ飲ませ、再度嘔吐するようであれば夜中でもすぐに来院させるように、そして、再度嘔吐することがなくても必ず翌日(二一日)は朝のうちに小児科の外来を受診するように指示して帰宅させたことはやむを得ない相当な処置であつたといわざるをえない。

3  また、仮に、鐘寧の二一日朝方の体温四〇度という発熱が脱水症状の徴候であつたとしても、前記認定の各所見に加えて、前記認定のとおり、鐘寧は二〇日の時点では軽度の脱水症状は推認されるものの、点滴輸液を必要ないし不可欠とするほどの脱水症状にあつたとは認められないところ、鐘寧は二一日の朝及び昼に、量については不明であるものの、ジュースとお粥により水分を摂取したこと、二一日の昼過ぎに松崎医師の診察を受けるまでに自宅で一回ずつ少量の排尿と下痢及び被告病院で一回の少量の排尿があつたのみであつたこと、右受診時には体温は三七・三度に低下していたこと、咽頭の著明な発赤が当日朝方からの発熱の原因と推測されたこと、同日午後三時から四時の間のプリンペランの静注時のツルゴール検査によれば特に脱水症状を疑わせるような徴候はみられず、注射針を刺すと痛がつて暴れ、看護婦に体重をかけて押さえてもらうような介助を必要とするくらい元気な状態にあつたことを総合すれば、鐘寧は二一日の受診からプリンペランの静注までの間においても、点滴輸液が必要ないし不可欠な程度の脱水症状にあつたと認めることはできない。

なお、ツルゴール検査のみでは臨床的に判定困難な中等度以上の脱水症状が生じる場合として高張性脱水があり、本件においてもこの点が取り上げられているが、その場合は血清生化学においてナトリウムが一五〇mEq/L以上、クロールが一一〇mEq/L以上となるところ、鐘寧は二一日午後五時の入院時になされた血清生化学検査によればナトリウム、クロームはそれぞれ、一四〇mEq/L、一〇五mEq/Lであり、高張性脱水にあつたものとも認めることはできず、右の脱水症状を見落とした過失もないというべきである。

更に、後記のとおり鐘寧のショックの原因として急性脳症を否定できないところ、急性脳症によつても血中の尿素窒素や尿酸が高値となることは多く、重症ほど高値を示すのであるから、二一日午後五時の静脈の血液の生化学検査の結果、血中の尿素窒素や尿酸が高値であつたことをもつて、鐘寧が点滴輸液が必要な程度の脱水症状にあつたと断定することもできないというべきである。

4  以上のとおりであり、当時の臨床医療の水準に照らすとき、被告の医師らの脱水症状の検査及び診断が不十分であつたとは認められず、また、鐘寧が二〇日及び二一日当時、点滴輸液が必要ないしは不可欠な程度の脱水症状にあつたとも認められないから、原告徐の対応をも併せ考察すると、脱水症状に対する治療について被告の医師らに過失を認めることはできない。

四  次に、プリンペランの静注について検討する。

1  プリンペランは、小児に常量の二ないし一〇倍の量を投与した場合には、生命や重篤な中枢神経系障害への危険をもたらすものではないが、頚部硬直、痙性斜頚、ジストニア(組織における緊張亢進又は緊張低下状態)、アテトーゼ(無定位運動症)などの不随意運動などの錐体外路(神経路)症状を惹起する副作用(多くは経過観察のみで一時間から二四時間で症状が消失する)を発現しやすい薬剤であるために、過量に投与することのないように注意することが必要であり、また脱水症状及び発熱時などにはその症状を助長する作用があるからこの点への注意を要し、ときに下痢及び眠気、まれに血圧降下及び頻脈の副作用を発生させる薬剤であることが認められる。

しかし、プリンペランは中枢を介した制吐作用に加え、胃及び小腸の運動が亢進している場合には抑制的に働いて、胃及び小腸を適切に調整し、大腸の回腸運動の亢進作用には影響を及ぼさない薬剤であるから、下痢症状の患者が悪心、嘔吐を合併している場合、嘔吐回数が少なく未だ脱水症状に至らない場合、あるいは脱水症状が軽度の場合などのように、とりあえず嘔吐を抑えれば水分を経口摂取する方法によつて改善可能な症状の場合に適応するもので、乳児性下痢症に対する適応も肯認されている。

2  この点、鐘寧は、前記認定のとおり、二〇日には一〇回程度嘔吐して、二一日の朝方少量の下痢があつたが、二一日昼過ぎに来院したときには嘔吐も下痢も止まつており、平野医師の診察中に下痢が一回、薬の処方を待つ間に嘔吐と下痢が各一回あつたにとどまり、特に激しい嘔吐、下痢状態とは認められず、点滴輸液を必要ないしは不可欠とするほどの脱水状態も認められず、とりあえず嘔吐を抑えれば、口から水分を摂取する方法によつて改善可能な程度であつたと診断されたのであるから、プリンペランの適応判断を誤つたものとは認められない。

したがつて、平野医師がプリンペランの静注を選択したことを不相当ということはできないというべきである。

なお、錐体外路症状は前記のとおり生命や重篤な中枢神経系障害への危険のない一過性のもので、後遺症をもたらすことのないまま回復するもので、前記認定の本件の鐘寧にみられる症状とは全く性質を異にするから、プリンペランの副作用として錐体外路症状があることの観点からプリンペランの選択について被告の医師らの過失を検討することは的外れというべきである。

3  更に、医療上の注意義務措定は、その当時の医療水準に照らしてなされるべきものであるところ、本件の診療当時はプリンペランの薬物性ショックについての症例報告は存在せず、平成元年九月厚生省薬務局の医療品副作用情報No.九八によつて初めて二例の症例報告を添えてプリンペランによる薬物性ショックについての注意が喚起され、同月三〇日付の新聞報道に至つたもので、右の症例報告はいずれも成人のものであり、しかも一例はショックを起こしやすい麻酔剤と併用した症例で程度の軽いもの、もう一例はやはりショックを起こしたとの症例報告のあるグリチルリチン(アレルギー用剤)と併用した症例で標準的治療で短時間に回復したものである。

そうすると、仮に、本件がプリンペランの静注によつてショックが生じたものであつたとしても、本件当時は未だかかる事態についての予見可能性はなかつたといわざるをえず、平野医師にプリンペランの静注を回避すべき注意義務を措定することはできないというべきであるから、やはり同医師の右選択に過失を認めることはできない。

4  また、星医師は、前記認定のとおりプリンペランを五分から一〇分程度の時間で静注したものであるから、ワンショットないし不当に急激に静注したとは認められないし、また、前記判断のとおり、プリンペランの静注によるショックの発生については予見可能性がなかつたのであるから、五分から一〇分を越えてより長時間をかけてプリンペランを注入すべき注意義務があつたとも認められない。

なお、プリンペランの副作用により薬物性ショックが生じた場合には、通常薬剤投与直後から一〇分前後に発疹、顔面紅潮、専門浮腫による呼吸困難が生じるとされているところ、本件の場合、プリンペランの静注後には右のような症状は全く認められなかつたのであるから、プリンペランより薬物性ショックが生じたことも認められない。

5  以上いずれの観点から検討しても、平野医師がプリンペランの静注を選択したこと及び星医師のなしたその投与方法について過失を認めることはできないというべきである。

五  なお、脇田は、鐘寧が最終的に陥つたショックの原因について、脱水症状にあつた鐘寧にプリンペランを静注したことによつて低血流量性ショックが生じたもので、急性脳症によつてショックが生じた可能性は低いと指摘するが、以下のとおり急性脳症によつてショックが生じたことについては相当程度の蓋然性が認められる。

1  ライ症候群(脂肪肝による肝不全と他の内蔵の脂肪変性を伴う脳症)を含む広義の急性脳症とは、乳幼児に好発するる神経系の疾病であるが、通常、インフルエンザ、水痘、その他のウイルス性上気道感染症等の先行感染症が発生し、いつたん軽快したかのような時期を経て、一週間以内に突然、嘔吐が発生し、意識障害が悪化して傾眠から昏睡状態となり、けいれんに発展するもので、非常に経過が悪く、数時間から数日以内に死亡するほか、死亡しなくとも重篤な中枢神経系の後遺症を残すことが多く、通常の場合、脳脊髄液に異常所見を欠き、病理解剖によつても脳圧亢進症状以外には明確な炎症所見を欠くが、臨床検査によると血清GOT(肝、筋肉)、GPT(肝)が正常の三倍以上に上昇し、血清アンモニアも上昇し、低血糖、酸血症の出現、尿酸の増加、ミトコンドリアの変形が認められ、眼底検査によると乳頭部のうつ血が認められる。

2  本件の場合は、鐘寧は前記認定のとおり短期間に急激に症状が悪化したため、施行できた検査の種類が少なく、生前に髄液の検査がなされておらず、解剖もなされていないことから、死因ないし死亡に至るまでの機序についての病理所見が全く得られておらず、脳、心臓、腎臓等の臓器の奇形や基礎疾患の有無、先天性代謝異常の有無等が全く明らかではなく、右について確定的な判断を下すことは非常に困難であるというべきである。

しかし、前記のとおり、鐘寧にはやけどと一週間以内の感冒様症状の先行感染症の後に、突然、嘔吐と下痢が発生し、急激に父の顔が白く見えるなど意識の変容が見られた後に、傾眠状態に陥り、酸血症が出現しており、低血糖、尿酸の増加、乳酸及びピルビン酸の数値の上昇が認められ、右上昇からは急性脳症の場合に発症するミトコンドリアの障害が疑われ、右の経過及び各検査結果によれば、鐘寧の呈した症状は広義の急性脳症の症状に類似していると認めることができる。

3  なるほど、本件の場合、入院時前後にGOTは五三、GPTは二二であつたものが、午後八時ころにGOTが七一、GPTが二四となつたにすぎず、その上昇の程度が少なく、頭部CT所見によつても著明な脳浮腫は認められず、眼底検査によつてもうつ血乳頭の所見は認められないものではある。

しかし、非常に経過が早い初期の急性脳症にあつては、さほどGOT、GPTが上昇しない症例、第一病日には脳浮腫所見が明確でない症例及び急速に意識障害が悪化して死亡に至つた場合には頭部CTの所見の結果によつても脳浮腫が軽度の症例も報告されていることが認められ、また、急速に脳圧が亢進する場合には、うつ血乳頭の所見が当初は見られない場合があるから、GOT、GPT値の程度、脳浮腫、うつ血乳頭の有無に基づき急性脳症の発症を否定することはできない。

4  そうすると、前記のとおりプリンペランにより薬剤性ショックが発生したとは認められず、また、中等度の脱水症状だけでは死亡に至るほどのショックが起きるとは認められない(証人脇田も認めるところである)本件においては、急性脳症によつてショックが生じたとの推認には合理性があるというべきである。

六  最後に、ショックに対する治療上の過失の主張について判断する。

1  小児期の極めて重篤なショックの治療に当たる医師は、より侵襲の少ない検査、治療から開始し、右治療に対する反応、各種検査所見などの情報を基に刻々と変化する患児の容態に即応したより適切な治療を選択していくべき注意義務を負うが、小児期のショックは大部分が循環血液量減少性ショックであると解されるところ、右ショックに対しては、まず、気道確保による酸素の投与と静脈を確保しての輸液及び輸血をなすべきで、一般には、右の各処置をもつて改善する場合が多いことが認められる。ただし、酸素投与の方法として気管内挿管は侵襲が大きいため、可及的に回避すべきで、動脈血液ガス分析ではペーハーが七・一五未満、動脈血酸素分圧(PO2)が六〇から八〇ミリメートル水銀柱以下の重度の酸血症の場合に適応する。なお、動脈血酸素分圧(PO2)の低下は酸血症の指標となるが、静脈血酸素分圧(PO2)の低下からは酸血症であるか否か明確な診断はできない。

右各処置を尽くしても症状が改善しない場合及びうつ血性心不全や心筋炎など心臓の疾患に起因する心原性ショックで心機能が障害されている場合には、強心剤(カテコラミン)の投与などの薬物療法、心機能増強という治療が必要になる。

また、ステロイドの投与は、感染を悪化させる危険を有するから、ショックの中でも重篤なショックの場合すなわち前記の十分な輸液及び輸血を行つてもショックの改善が認められない場合並びに薬物性ショックの場合になされるべきである。

2  そこで、本件の鐘寧のショックの場合、前記認定のとおり、薬物性ショックとは認められず、また、心電図にも異常波形は認められず正常であつたと判断されるから、心原性ショックの可能性も乏しかつたものと認められる。そのため、三石医師は、まず急性循環不全を改善するために初期大量輸液及び適切な救急蘇生薬の投与を可能とするために静脈留置針を穿刺して輸液路を確保し、二一日午後五時一〇分ころから、大量輸液を主とする初期治療を施し、続いて、鐘寧は自発呼吸があつたものの六〇と浅表性で、頻脈、多呼吸、血圧低下が認められたことから、午後五時一五分ころ酸素マスクを用いて酸素の投与を開始したものである。

右治療により、前記認定のとおり、午後五時一〇分には血圧の測定が不能となり、午後五時二二分には静脈血のペーハーは七・二四五と低下し、静脈血酸素分圧(PO2)は二七・一ミリメートル水銀柱、静脈血二酸化炭素分圧(PCO2)は三三・九ミリメートル/水銀柱と悪化して、酸血症が認められていたものが、午後五時三〇分ころには血圧が測定できるようになり、午後五時五〇分ころには血圧は収縮期が一一〇で拡張期が六四と回復し、口唇の色もやや良くなり、呼吸も安定し、刺激に対し苦痛を訴えるなど症状が改善されており、また、午後六時〇二分ころには動脈血のペーハーが七・五二二と上昇し、動脈血酸素分圧が(PO2)は一〇六ミリメートル/水銀柱、動脈血二酸化炭素分圧(PCO2)は二〇・七ミリメートル/水銀柱と改善し、酸血症の改善が認められている。

そうすると、本件の場合、午後五時二二分の血液酸素分圧(PO2)は酸血症の明確な診断資料としては不十分な静脈血の検査結果であり、三石医師が鐘寧の入院直後に施した初期輸液及び酸素マスクによる酸素の投与により、ショックの改善が認められたものであるから、鐘寧は入院当時には気管内挿管、カテコラミンの投与及びステロイドの各投与の適応にあつたとは認められず、同医師が初期治療として右各治療を施さなかつたとしても、右治療をなすべき注意義務を措定することはできないから、同医師に過失があるものとは認められない。

3  そして、前記認定のとおり、二一日午後六時五二分に鐘寧は初めて全身性強直性けいれんが起きてからは、三石医師はすぐにアンビューマスクを用いて酸素の投与を開始し、午後七時一〇分に薬物を使つて血圧、心筋収縮力、尿量の確保、循環動態の改善維持を努めようとして強心剤(カテコラミン)の一つであるイノバン一〇〇ミリグランの投与を開始し、午後七時一二分に再度全身強直性けれんが生じた後の午後七時二二分にはイノバンの投与の速度を速め、午後七時二四分にはアンビューマスクに続いて気管内挿管を行つて酸素の積極的な投与に努め、ICU入室後も、機械補助換気により酸素を投与し、大量のイノバンを使用している。

そうすると、三石医師の選択した酸素の投与方法、カテコラミンの投与の時期は、前記認定の時々刻々と判明していく鐘寧の症状、治療に対する反応、各種検査所見などの情報に基づいてなされた合理性のある処置と認められる。

なお、本件の場合、入院当初からカテコラミンを投与したからといつて、生命を維持できたか否かは判然としない症例であるから、入院当初からカテコラミンを投与しなかつたことと鐘寧の死亡の間に因果関係を認めることはできないし、したがつて右不投与をもつて過失とすることもできない。

七  以上の認定のとおり、被告の医師らには原告ら主張のいずれの過失についてもこれを認めることはできない。なお、本件については、原告ら殊に原告徐に言葉の障壁や自国との医療方法の違いについての理解の齟齬から、医療を行う上で重要な要素となる患者側と医師との間の意思疎通ないし信頼関係を欠いた事情のあることが窺われないではないが、この点は在日外国人に対する我が国の医療体制の在り方に係る問題として指摘されることはともかく、本件における被告の医師らの過失の問題とは別のことであり、右の点は前記過失の判断を左右するものではないことはいうまでもないところである。

よつて、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求は理由がない。

(裁判長裁判官 藤村 啓 裁判官 吉川愼一 裁判官 絹川泰毅)

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